『接骨院の診察室』 第2回

=前回までのあらすじ=
右肩関節痛の診察をする予定だったはずの、60代女性患者のAさん。
しかし問診を始めると同時に、「1週間前に起きた頭痛」の事を訴えてこられた。その頭痛が「決してスルーしてはいけないタイプの頭痛」だと僕が明確に認識した矢先。

何も言わず突然すごい勢いでひっくり返って、失神したAさん。
問診開始たった3分後の出来事でした。
「たった今『くも膜下出血』を起こしたのに違いない」と確信した僕は、直ちにスタッフと協力して救命行動を開始しました。

 119番通報をしながら、呼吸もしづらいほど心臓が高鳴る中。
僕は何とか声を絞り出し、このように伝えました。

「〇歳女性。1月7日朝7時頃、雪かきをしていてちり取りで取ろうと頭を下げた瞬間、突発ピーク型頭痛が発生。その事を今問診している最中、咳をした次の瞬間に、後方にひっくり返って意識消失。

呼吸、心拍異常なし。7日に発生した頭痛がマイナーリークで、たった今、その脳動脈瘤が再破裂してくも膜下出血を起こしたものと考えられます。間違いありません。直ちに脳動脈瘤のクリッピング術が出来る病院の脳神経外科に搬送してください!」

「わかりました!○○と○○から2台の救急車を向かわせます!消防車も向かわせます!」
119番の担当者はすぐにこう答えてくれました。

消防車がなぜ来るのかはわかりませんでした。
しかしおそらく、1台が渋滞などで遅れた場合に備え別々の拠点から複数台を向かわせてくれるのだなと推測しました。

また、救急車より消防車の方が道を譲ってもらいやすく、早く着くからかも知れません。いずれにしても119番には、少なくとも「今の事態の緊急性」が伝わっている、と感じました。

また、救急車がこちらに向かっている間に、119番の方で「脳動脈瘤のクリッピング術に対応してくれる病院」を探してくれている事…これに強く期待をしました。

救急車が来るまでの数分間。
カルテに僕が行った病態推論を、震える手で急いで追加記入しました。
搬送先の病院のドクターに知らせなくてはならない、重要な情報を提供するためです。

こういう時に紹介状をゆっくり書いている暇はありません。
このカルテをコピーしてそのまま情報提供書とするのです。

カルテ用紙に書きかけだった問診内容から矢印を引っ張って。

『ここまで問診したところで咳をした。一旦頭を下げた後、次の瞬間、後方にひっくり返った。失神。痙攣(-)。全身硬直。呼吸→いびきをかくもN.P.(異常なし)。脈N.P』
と記入。

そして大きな字で
『くも膜下出血の疑い』
と記入。

さらに、1月7日の頭痛の発症様式を記入した部分から矢印を引っ張り、これを読むドクターの印象に残りやすいように大きな字で、
『マイナーリークだった疑い』
と記入。

これを読んでくれさえすれば。
専門医であれば誰もが、「事態の緊急性」を認識してくれるはずだ。

スタッフが呼吸と心拍の観察を続けている様子を再度ちらっと見て、事態が急変していない事を確認して、ドクターに渡せるように、急いでこのカルテをコピー。

119番通報をしてから5分弱だったと思います。
救急隊員が3台の車で次々と到着しました。
全部で12~13人いたのではないかと思います。
救急隊員がバタバタと接骨院に入ってきました。

その中の3名くらいが直ちに、ベッドに仰向けに横たわっているAさんのバイタルチェックを開始。

僕は記録用紙を持っている救急隊員を見つけ、「一連の状況」と、「推測疾患名」と、「搬送するべきと考えられる医療機関」の3つについて情報提供

カルテのコピーを渡し、搬送先の病院のドクターに「手渡す」よう依頼。
救急隊員からは「今ドクターカーもここに向かっています。」と伝えられました。

5分弱後の11時40分ころには、救急車の中にAさんの搬入が完了しました。ドクターカーもその頃に到着。
僕は、「医師」と書かれたワッペンを付けたその30代くらいの男性のもとに行きました。

「一部始終を見ていた者です。状況をお伝えします。」と告げて、救急隊に伝えたのと同じ情報を手早く伝達。

「1月7日がマイナーリークの疑いである事」と、「今回がくも膜下出血の再破裂の疑いである事」を強調しました。

僕の言葉を聞きながら、ちょっと馬鹿にしたような表情を見せたのが気になりましたが…その医師が救急車の中に乗り込むと、車の扉は閉められてしまいました。

手術が出来る病院に向けて1分1秒でも早く出発して欲しい。
そう思いながら、やきもきして外で待っていましたが…
どんどん時間が過ぎていきました。

20分か30分くらい経ったところでようやくその医師が救急車から下りてきました。しかし、看護師の女性と何やら「歓談」しながらでした。

驚きました。
何と。笑っていたのです。

「くも膜下出血ではないですね。もう意識は戻りましたし。普通に話も出来ていますので。」
僕を見るとその医師はそう言いました。

「えっ!?でも!ではマイナーリークを疑わせる1月7日の頭痛は何だったのでしょうね!?」

「いやとにかく、SAH(くも膜下出血)の病態ではありませんから。脳神経外科ではなく、該当する診療科をこちらで選定して搬送させます。」

そう言い切ると医師は看護師と一緒に帰ってしまいました。

僕は混乱しました。
それは困る。

何としても脳動脈瘤のクリッピング術が出来る病院の脳神経外科に搬送してもらわなければ

少なくとも「頭部単純CT」で出血を確認して、それで見つからなくても「脳血管造影」をやって脳動脈瘤が存在しないことが確認できるまでは、決して安心などできないはずだ。

髄液中に出血した血液が混じっていないか確認する「髄液検査」だって場合によっては必要なはずだ。

…しかし、医師ではない僕には、出来ることはもう何もありませんでした。

この医師は、「てんかん発作」だとの診断に至ったのだと思います。
もちろんその可能性もあるでしょう。20分くらいで意識が戻ったということは。

しかしだからと言って、くも膜下出血が否定できたわけではありません
今のが「てんかん発作」だとしても、1月7日の頭痛はくも膜下出血のマイナーリークそのものの症状です。検査をやらないとだめです。

また、今のは「てんかん発作ではなく、やはりくも膜下出血だった」ということだって十二分にあり得ます。意識が一旦戻るくも膜下出血なんていくらでもあるからです。

さらに、もしてんかん発作だとしたら、成人発症のてんかん発作であるならば「脳腫瘍」がないか精密検査をしなくてはならないはずです。

でも、もう僕にはただ立ちすくんで救急車を見ていることしかできませんでした。救急車はその後まもなく出発しました。

12時少し過ぎでした。

その夜。
僕はご自宅に電話をしました。

もし帰されていたら、搬送された病院でどんな検査をされたかを伺おうと思ったからです。

そして先ほど述べた一連の検査が行われていなければ、僕の車で「もう一度別の病院に救急搬送する」ためです。

しかし、どなたも電話にはお出になりませんでした。
これで、この日に僕が出来ることは完全に終わりました…

PS:写真の本は、内科医に対して行われた脳神経外科専門医の講演が、書籍化されたものです。一般の方にも比較的わかりやすい内容となっています。僕はこの本のおかげで脳腫瘍の患者さんを今までに5名見つけてあげることが出来ました。

翌日の朝。
お連れ合い様が、お菓子をもって来院されました。

そして、こうおしゃいました。
「やっぱり…くも膜下出血でした…」

お連れ合い様のお話をまとめると、以下のような経緯でした。

『当院を出発した救急車は5分くらいで総合病院に到着した。
救急医ではなく脳神経外科医が初めから待機してくれていて、すぐに診察してくれた。

先生(僕)が書いたカルテのコピーも読んでいた。
(これを聞いて僕はすごく安心しました。
くも膜下出血は脳神経外科医でなければ手術で治せないからです。

内科医や神経内科医や、はたまた精神科医が診たのだとしたら、脳神経外科医にバトンタッチするまで1~2時間は浪費されてしまうからです。

病院はトリアージのドクターの判断をそのまま受け入れることなく、“病院側の判断で”、「脳神経外科医」が初めから診察することにして、待機してくれていたのです。)

すぐに造影剤を入れて脳血管造影その他の画像検査を施行。
脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血」と診断。

14時には手術が始まっていた。
手術の術式は「脳動脈瘤瘤内塞栓術(脳血管内手術)」を選択。

手術は無事成功。
すべてが終わったのは18時過ぎ。

その後、担当医から「これから2週間が山場です。」と言われた…』

そしてお連れ合い様はこう続けました。

『その他にも悪いことばかりたくさん言われました…

仕方ないことなのでしょうけれども。
先生からの留守番電話が入っていたのを聞いたのですが、帰って来たのが夜9時過ぎてて、もう遅かったものですから…』

僕は肩を落としてうつむくお連れ合い様に、こう言いました。

「○○さん、でもAさんは、考え得る中で一番最短の時間で最善の処置の道を行けていますから。僕の目の前で倒れられたのですからね。

これがどこか街中で起こっていたら、もっと時間が経ってしまっていたかも知れなかったのですから。僕もAさんが元気に治ることを心からお祈りしていますから。」

このくらいしか、励ます言葉は僕には見つかりませんでした。

ここまでが「事実経過」です。
ここから先は「僕個人の考え」を書かせていただきます。

一般の医療者はもちろん、脳神経外科医でも、自分と会話している最中に目の前でくも膜下出血を起こされた患者さんに遭遇した経験のある方は少ないのではないかと思います。

拙い話ですが、いつの日か皆様にとって何らかのお役に立てればという思いで、書かせていただきます。

僕はお連れ合い様をあのように励ましましたが、心の中ではこう思っていました。

「本当は最短の道なんかじゃない。あのトリアージの医師が使った20〜30分はAさんにとって“要らない時間”だった。」

あの医師は何か役に立つことを、一つでもしたのでしょうか。

僕がわざわざ119番通報時に詳しい状況説明をして「くも膜下出血の手術が出来る病院への搬送を」と伝えているというのに。

救急車の出動命令と同時に、受け入れ先病院を探す作業をしておいてもらっているというのに。

出かける準備ができている救急車をわざわざ留め置いて。
20分という時間を浪費した挙句。

導き出した結果は、「くも膜下出血ではありません」でした。

あの医師は自分がくも膜下出血になったとして、出血していく血液によって自分の脳細胞が刻々とダメージを受けていく中で、20分30分という時間を無駄に費やすこと。

彼は笑ってそれを許容出来ると言うのでしょうか。

この事は大変重要な「現代日本医療の問題点」を僕に示唆してくれました。

(つづく)

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