『接骨院の診察室』 第6回
僕が尊敬してやまない医師たちが持つ中心軸。その勇気と行動。~その3
当時まだ駆け出しだった僕に大切な「勇気」を与えてくれた、たくさんの医師たちの行動。そして言葉。
3回にわたってお送りしたこのエピソードシリーズは、今回が一旦最終回です。
結局このシリーズは3回ともM先生のお話になりましたが、他の先生の貴重なエピソードは今後の連載の中でまた次の機会に譲ることにして。
今回は、ある日「手術中の現場で起きたハプニング」と、そこで「M先生が取った誠意と勇気ある行動」について書こうと思います。
M先生は、僕が当時勤務していた整形外科クリニックから週1回外来研修に行かせていただいていた、総合病院の整形外科部長でした。
M先生は日本で医師になったのちアメリカに留学し、帰国後は何十年もこの病院で整形外科部長をされていたのですが、定年になり退官されることになりました。
しかしまだまだお元気でしたので、引退するのではなく別の病院に再就職をされました。
M先生がその再就職先の病院で初めて手術をされるという日。
前日に僕にお電話をくださり、「患者さんに了解を得たから手術を見学に来ないか」とお声をかけてくださいました。
M先生は何度か重要な手術を見学させてくださいましたが、その日は僕にとってまだ2回目の手術見学でした。
当日はM先生のご指導の下、手術着に着替え、手洗いや消毒を済ませて手術室へ。
M先生が執刀し、助手にはこの病院の整形外科部長のA医師がつき、麻酔科医と看護師さん数名と、僕が入室しました。
既に全身麻酔をかけられて手術ベッドの上で眠っていらした患者さんは、交通事故で片膝を大怪我された方でした。
前十字靭帯断裂と、内側側副靱帯断裂。
膝の主要な靱帯が2本完全に断裂していました。
あらぬ方向に膝がぐにゃりと曲がってしまう、驚くほどぐらぐらの状態。
術式は、前十字靭帯再建術と、内側側副靱帯縫合術。
手際よく手術準備が進められ、「では、よろしくお願いします。」とM先生。
「よろしくお願いします。」声をそろえてそれに応えるスタッフたち。
程よい緊張感の中で手術が始まりました。
M先生はまずは前十字靭帯再建術から取り掛かりました。
手術は順調に進み、大腿骨と脛骨(膝の上下の骨)にドリルで穴も開け終わり、いよいよ人工靱帯をその穴に挿入して両端を骨に固定する工程に入ろうとした時。
人工靱帯を挿入する際にガイドとなる、金属製の細いストローのような専用の器具があるのですが、何とこれを看護師さんが発注し忘れていたことが判明。
大変なことになりました。
M先生とA医師で解決策をいろいろ話し合い、僕も「キルシュナー鋼線に人工靱帯を縛り付けて挿入したらどうか」など、いくつか代替策を提案したりしましたが、
結局試行錯誤の末、M先生が何とか上手いこと人工靱帯の挿入に成功。
予定より大幅に時間をロスしたものの、ピンチを脱することができました。
しかしこの少し前からA医師があからさまにそわそわした態度を見せ始め、
手術室の時計を何度も見るしぐさを繰り返し。
「A先生、何か用事でもあるの?」と、手術を続けながら穏やかに尋ねるM先生。
「ええ、まあ。」
「何があるの?」
「いや、この後大学で人と会う約束しているんですよね。ここまで時間がかかるとは思わなかったものですから。」
「そうか…」
しばらく沈黙が続く中、M先生が前十字靭帯再建術の最終段階に入っていたら、
やおらA医師がこう言い出しました。
「もう、内側側副靱帯の縫合はやらなくていいんじゃないですかねぇ。」
「…。」
「縫合せずにギブス固定だけでも良好な結果が得られたと報告している論文も出ていますし。」
この言葉を皮切りに。
手術室内の雰囲気としては、M先生と僕を除いた皆が、“早く帰りたいムード”に急速に包まれていくのを強く感じました。
僕はハラハラしました。
患者さんには、手術前に術式(どういう手術をするか)をきっちり説明した上で、手術に同意してもらっている訳で。
全身麻酔をかけられている患者さんは意識がないので、当然話はできない訳ですが。
手術してみて「何か特別な問題が発見されたから」という訳でもなく。
ただ医師に「個人的な用事があって時間が無くなった」なんていう理由で。
患者さん本人の意思を確認できないまま、術式を勝手に変更するなんて事が許されるのかな、と思いました。
正直僕にとってA医師の発言はものすごく衝撃でした。
手術室では、患者が眠っていて知らない間に、医師同士の間でこんな会話が行われているのか!?と。
そうこうしている内に、前十字靭帯再建術は成功に終わり、切開した部分の縫合が完了しました。
M先生は一体どうするのだろうかと息を飲んで見ていたら。
やおら「失礼します。」と一言言うと、
間髪入れずにM先生は、内側側副靱帯部にメスを入れ、皮切に入りました。
一旦皮膚を切開した以上、これでもう後戻りはできません。
ちらっとA医師を見ると、苦々しい表情。
しかし僕は心の底からホッとしました。
自分や自分の家族がこの患者さんだったら、後から何と説明されても、何故内側の靱帯は縫合してくれなかったのかとやっぱり納得できないだろうと思ったからです。
手術が全て当初の予定通りに終わり、無事患者さんの膝は手術前のあのぐにゃぐにゃの状態から、ぐらぐらが全くない、しっかりした状態に。
更衣室で。
僕は興奮を抑えられないままM先生にこう言いました。
「先生、素晴らしかったです。」
M先生はちょっとはにかみながら、
「いや、やっぱり気持ち悪いもんな、あのままじゃ。」
といたずらっぽく笑って短く答えました。
その時の爽やかなお顔は25年以上経った今でもはっきりと覚えています。
…今回のお話はこれでおしまいです。
皆様はどんなことをお感じになられましたか?
ちょっと想像しにくいかも知れませんが、M先生のこの決断と行動はすごく勇気がいることだっただろうと僕は思うのです。
M先生にとっては再就職先での初めての手術。
そして自分より後輩とはいえ、これから自分の上司として付き合っていかなければならないA医師との関係。
こういった事と。患者さんの人権。
M先生は迷わず後者を選びました。
今思い出してもちょっと鼻の奥がつんとしてきます。
この勇気。医療従事者としての中心軸。
M先生から教わったことは、僕にとって一生の宝物になりました。
…さて。次回からはまた、僕自身が経験した患者さんの症例のお話を、ランダムに1つずつ紹介していきますね。
どの症例を取り上げるかまだ未定ですが、次は少しアカデミックな部分も交えつつ、かつ一般の方にも分かりやすいように工夫して、書いていこうと思います。
どうかお楽しみに。
(次回は11月1日配信となります。)