『接骨院の診察室』 第4回
僕が尊敬してやまない医師たちが持つ中心軸。その勇気と行動。
前回まで3回にわたって、当院の診察室でくも膜下出血を起こされた患者様のお話を書かせていただきました。
ここでは、残念な対応をした医師の姿を見て、それについての批判も書かせていただく形となってしまいました。
しかし、当然ながら、世の中にはそういう医師ばかりがいるのではありません。
僕がこれまでにお会いしてきたたくさんの医師の中にも、心の底から尊敬する方が大勢います。
そういう医師たちの言葉と行動は、僕に医療者としてのスピリットと勇気を与えてくれました。
その言葉を聞き、行動を目にした時、僕の心はふるえました。
いつの時もその医師たちの決断は、困難な状況にある中でもそれに負けることなく、その医師自らが持つスピリットに基づいてなされたものだと感じたからです。
このスピリットは、僕が尊敬する医師の全員に共通しているものだと感じています。
いわば「医療者としての中心軸」。
何かに迷った時、安易に楽な道を選択するのではなく、常にこの中心軸に立ち返って決断する。
そういう姿が、この医師たちにはすべて共通して見られました。
たくさんいるその医師の中から、何名かの医師のエピソードを、今回から3回くらいのシリーズで少しご紹介したいと思います。
今回は、僕が尊敬してやまない医師の1人、故M医師のそばで僕が見させていただいた無数にあるエピソードの中から、まずは初めの経験となった1つをご紹介したいと思います。
エピソード1.
僕は30歳の時に柔道整復師免許を取得しました。そして接骨院勤務を経て整形外科クリニックに入社しました。
外来患者1日平均250名。
僕たち数人の理学療法室スタッフで、骨折の整復固定などから慢性疾患まで、ほとんどすべての患者さんを施術させていただいていたので、大変忙しかったです。
整形外科医の院長が診断し、カルテに記載された指示に基づき、外傷の処置や理学療法や手技療法を僕たちが行うわけですが、日々患者さんの経過を見ていく中で、その診断に若干疑問を感じるケースも中にはありました。
当時入社したての僕に懇切丁寧に指導してくださった、柔道整復師と鍼灸マッサージ師の資格を持つ先輩の理学療法室長が、僕が入社後1年と少しで開業のために退職されたことで、免許取得後1年ちょっとしか経っていない僕が理学療法室長に任命されました。
ある日、後輩が僕に相談してきました。
肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)という院長の診断の下に僕たちが理学療法を行っていた患者Aさんのことでした。
「自分は五十肩ではなくRSDではないかと思うのですが…」と。
RSDというのは「Reflex sympathetic dystrophy(反射性交換神経性ジストロフィー)」という病気の略称です。現在ではカウザルギーと併せてCRPS(複合性局所疼痛症候群)という疾患概念にまとめられ、RSDはCRPS-TypeⅠに属するとされています。
その中の1つである「Shoulder Hand Syndrome(肩手症候群)」ではないかと、後輩は言うのです。
肩手症候群は五十肩とは全く別の病態です。
ネットで簡単に検索できますので病態の詳しい解説は控えますが、いろいろなきっかけで発症することが報告されており、最悪の場合は上肢の筋委縮や骨委縮や関節拘縮を招いてしまい、上肢全廃となり、切断せざるを得ない状態に陥ることもある疾患です。
確かにAさんの上肢全体にはかなり強めの浮腫が存在していたことや、肩関節運動時の疼痛だけでなく、安静時の疼痛が激しい状態が続いていたことなど、後輩の病態推論通りである可能性が高いと、僕も思いました。
しかし、柔道整復師や鍼灸師である僕たちが、医師である院長に、「診断について意見を言う事」はもちろん「タブー」でした。
そんな中、ある日院長がお休みになり、その代診医師として、M医師が外来診療に来てくれた事がありました。M医師は、以前院長が総合病院勤務していた時に上司だった整形外科部長でした。
僕たちは外来研修としてその総合病院に1週間に1度交代で派遣してもらい、M医師の診察を丸1日真横で拝見させていただいていたので、M医師のお人柄はよく知っていました。
Aさんの症状については院長も少しおかしいと思ったのか、この少し前にAさんをM医師に紹介して、総合病院で精密検査も行ってもらったりもしていました。
しかし、結果はまだはっきりとしないまま、こちらでは五十肩としてそのまま施術を継続するよう、僕たちは院長から指示されていました。
そこでこの日僕は思い切って、AさんがM医師の診察に呼ばれたところを追いかけて行って、診察室に入り、M医師に小さい声で直接質問しました。
「M先生、この患者さん、RSDではないでしょうか。」
そうするとM医師は驚いたようにパッと顔を挙げました。
そして次に満面の笑顔を見せて即座に大きな声ではっきりとこう言いました。
「そうだよ!RSD、肩手症候群だったんだ。間違いない。よく気付いたね。僕は腫瘍じゃないかと思ってCTやったりして調べていたけど、誤診していたんだ。君たちの言う通りだ。よく気付いたね!」
僕は驚きました。M医師のお人柄は知ってはいましたが。
医師が患者さんの前で堂々と「自分の誤診を認める」なんて。
しかも柔道整復師にすぎない僕たちの推論の方が正しいと、はっきりと大きな声で。
僕は感動しました。
しかし後からゆっくり考えてみて、自分の中ではこういう結論に至りました。
M先生にとっては、「誤診していたことを患者さんや僕たちに知られたくない」とか、「柔道整復師の推論の方が正しかったとは認めたくない」といった“プライド”より、ずっと大切なものがあるのだと。
それは、「何よりも患者さんが中心軸だ」という、シンプルな信念だったのではないかと思うのです。
この事は僕に大変な勇気をくれました。
忖度ではなく、事実を追求する。
あくまでも自分は医師ではないことを自覚した上で、謙虚に。
しかし患者さんが中心軸であることを決して忘れずに。
だから今でも僕は、うちのスタッフの病態推論の方が自分より正しいと気付いたら、何の抵抗もなくそれを認めることができますし、そのスタッフを目一杯誉めることができます。
患者さんに対しても、自分の誤診に気付いたら、素直にすぐにお詫びをすることが出来ます。
M先生のおかげです。
次回も、もっと僕が驚いたお話をご紹介させていただきたいと思います。